CFRの誕生と全体主義との初期のつながり by ジェームス・パーロフ 2 ボルシェヴィキとの関係

CFRの誕生と全体主義との初期のつながり by ジェームス・パーロフ 2

ボルシェヴィキとの関係

犯人写真集


初期CFRメンバーの多くに共通のもう一つの特徴は、ロシアのボルシェヴィキに対する支持--物的あるいは精神的--であった。

他のいかなる実体的大事業もそうであるように、革命も資金なしには成功し得ない。一九一七年ロシア革命も例外ではなかった。ドイツ人がレーニン--皇帝によって国外に追放されていた--を助け、約五百万ドルの金塊を持たせて封印した列車に乗せロシアに帰したことは、今やよく知られている。無論ドイツ人は内に秘めた動機を持っていた。それは、帝政ロシアは連合国側に立って彼らと戦っており、革命の成功はドイツにとって戦うべき敵が一つ減ることを意味するからである。

合衆国の貢献については、あまり広く知られていない。おそらくこれについて最もよく書かれているのは、元スタンフォード大学フーヴァー研究所の特別会員アントニー・サットンの"Wall Street and the Bolshevik Revolution"である。(和訳はこちら

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それは国務省のファイルを丹念に調べることも含んだ根気強い研究が基礎となっている。サットンの焦点はCFRに置かれていないのではあるが、彼の研究結果をCFRの初期の名簿と比べてみると実に参考になる。彼のこの著書は実際は三部作の一部で、他の二巻はウォール街のフランクリン・D・ルーズベルトとの繋がりおよびナチス・ドイツとの繋がりを考察したものである。

アメリカのボルシェヴィキ援護がいつ始まったかは、おそらく正確にはわからない。しかしここでハウス大佐の予言的な作品"Philip Dru"の抜粋で、この話の口火を切ってもあながち不当ではあるまい。

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  「ドルーは時々空想のなかで、広漠としたロシアのこと、またその国民の無知と絶望的な前途について考え、いつこの国の解放の日が来るだろうかといぶかった。この専制国には誰かがなすべき大きな仕事があることを彼は知っていた」 (7)

ニコライ皇帝が退位した時、ニューヨーク市に住んでいたレオン・トロツキーがロシアに帰国することができたのは、アメリカ国籍の旅券がトロツキーの手に入るようウッドロー・ウィルソンがとりなしたからにほかならなかった(8)。

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一九一七年十一月二十八日、ボルシェヴィキが新たに政権を握るとともに、ハウスはウィルソンに電報を打ち、ロシアを新しい敵だと書くいかなる新聞記事も「差し止める」べきであると説いた(9)。

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その当日ウィルソンは、革命に干渉してはならないと言明した。ボルシェヴィキたちの残虐行為のため、合衆国は彼らの新政権を公式に承認することはしなかったが、多くの人が驚いたことには、ウィルソンは引き続いてボルシェヴィキヘの支持を表明した

クーン・ロエブ社社長のジェイコブ・シフは革命にたっぷり資金を供給した。

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このことは白系ロシア人アルセーヌ・ド・グールヴィッチ将軍が、その著書"Czarism and the Revolution"で報告している。またニューヨーク・ジャーナル・アメリカン誌一九四九年二月三日に次のように書いている。

  「現在では、ジョイコブの孫でニューヨーク社交界の著名人であるジョン・シフさえ、ロシアにおけるボルシェヴィキの最後の勝利のため祖父が約二千万ドルを投資したと見積っている。ニューヨークの他の銀行もまた金を出した」

シフはCFRの法人化前に死んだが、息子のモーティマー[Mortimer L. Schiff, 1877-1931]と彼の共同出資者で連邦準備制度の起案者ポール・ワーバーグの両者はCFRの創立会員となった。

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本書では、一九二二年のCFRの最初の会員名簿に載っている二百十名をすべて「創立会員」と呼ぶ。 この名簿を調べるのは、まるでボルシェヴィキ支持者たちの犯人写真集をめくるようなものである。


世にも不思議な赤十字使節団

一九一七年夏、ペトログラード--ロシア革命の神経中枢--に歴史上世にも不思議な赤十字使節団の一行がやってきた。それは連邦準備制度理事のウィリアム・ボイス・トムソン[William Boyce Thompson, 1869-1930]に率いられた十五人のウォール街金融家と弁護士から成り、医師と看護婦の小派遣団を伴っていた

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この医療チームは、政治活動の隠れ蓑にすぎないことに気づき一カ月後に抗議帰国した。実業家たちはペトログラードに残った(10)。

使節団はまずアレクサンドル・ケレンスキーの社会主義体制に資金を出し、次いで彼に取って代わったボルシェヴィキたちに金を貸した。ヘルマン・ハーゲドルン[Hermann Hagedorn, 1882-1964]は、彼が書いたウィリアム・ボイス・トムソンの伝記のなかで、J・P・モルガンがナショナル・シティ・バンク・ペトログラード支店--ロシアでボルシェヴィキが国有化しなかった唯一の銀行--を通じてトムソンに百万ドルを電送した証拠写真を載せている。

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この百万ドルはどうなったのか。一九一八年二月二日のワシントン・ポスト紙がその答を提供している。「ボルシェヴィキに百万ドル供与」の見出しで、同紙は次のように報じた。

  「昨年七月から十一月までペトログラードに滞在していたウィリアム・B・トムソンは、ボルシェヴィキがその教義をドイツおよびオーストリアに広めることに対し、彼らに百万ドルを個人的に寄付した。
  トムソン氏はアメリカ赤十字使節団団長としてロシア状況を調査する機会があったが、その費用もまた主として彼の個人的寄付によって賄われた・・・
  トムソン氏はアメリカ人のボルシェヴィキ批判に強く反対する。彼らボルシェヴィキは誤り伝えられていると彼は信じている・・・」(11)

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トムソンはまたソヴィエトを称える小論文を執筆し、それが合衆国で出版された。

赤十字社ペトログラード使節団中のウォール街族の三人--トムソン、アラン・ウォードウェル[Alan Wardwell, 1873–1953]、ロバート・バー[Robert Barr]--は、このあと続いてCFRの創立会員となり、他の三人ヘンリー・デーヴィソン[Henry Pomeroy Davison, 1867-1922]、

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トマス・サッチャー[Thomas Thatcher]、ハロルド・スウィフト[Harold Swift]--は、その後何年かでCFRに加わった。


一九一八年五月、トムソンはロシア援助協力アメリ力連盟設立を助けた。この団体の執行職の三人オスカー・シュトラウス[Oscar Solomon Straus, 1850-1926]、

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チャールズ・コーフィン[Charles Coffin]、モーリス・オーディン[Maurice Oudin]--はCFRの創立会員となった。連盟会長フランク・グッドナウ[Frank Goodnow]は一九二五年にCFRに入会した。

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一九一八年六月、国務省は戦時通商局の一委員会から「米露問のより密接でより友好的な通商関係」を主唱する覚書を受け取った(12)。委員会は三人--トマス・チャドボーン[Thomas L Chadbourne](CFR創立者)、

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ジョン・フォスター・ダレス[John Foster Dulles , 1888-1959](CFR創立者)、

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クラレンス・ウーリー[Clarence M. Woolley](一九二五年CFRメンバー)--から成っていた。国務省の記録から、一九一八年暮にチャドボーンは合衆国に派遣されたソヴィエトの諜報員ジョージ・ロモノーソフ[George Lomonossoff]のため一万ドルを確保するのに尽力したことが明白となる(13)。

CFRの初代会員中ボルシェヴィキを支援した人には、ほかに下記の人たちがいる。

●モルガンのパートナーであるトマス・ラモント[Thomas W. Lamont, 1870-1948]。彼は、新ソヴィエト体制を承認するよう英国政府を説得するのに手を貸し、彼の一家は共産党を含む極左団体の資金後援者になった。

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●前述したCFR副理事長ポール・クラヴァス[Paul Drennan Cravath, 1861-1940]。彼は『フォーリン・アフェアーズ』でボルシェヴィキの認知を促し(14)、その目的そ最終的に現実化するのに彼の法律事務所が手を貸した(15)。

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●広報員のアイヴィー・リー[Ivy Ledbetter Lee, 1877-1934]。彼は、合衆国におけるソヴィエトのイメージを向上させた。

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一九二三年にCFRはエイヴリル・ハリマン[William Averell Harriman, 1891-1986]と契約署名した。対ロシア共産主義者通商の草分けのハリマンは彼らと合弁の海運会社を作り、コーカサス山脈のマンガン鉱山経営のための何百万ドルの免許を彼らから獲得し、さらには合衆国政府が介入するまで、四千二百万ドルのボルシエヴィキ公債を発行する取引を何とかうまくやってのけた(16)。数年後、彼はソヴィエト連邦駐在米国大使となり同国施政者たちの腹心の友となった。

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『フォーリン・アフェアーズ』編集者アーチボルド・ケアリー・クーリッジ[Archibald Cary Coolidge, 1866-1928、 引用注:ラッセル社協同設立者、ジョゼフ・クーリッジ[Joseph Coolidge, 1798–1879]の孫]の存在を見逃してはならない。彼は「K」という匿名で同誌の創刊号にロシアに関する論文を書き、合衆国が「ソヴィエト政府に冷たく距離を置いて、その承認を拒むか、あるいは施し的な慈善行為以外は同政府と取引することを拒んでいる」ことに苦言を呈した。

クーリッジはボルシェヴィキ一派の野蛮性は認めるが、次のような道理を説いている。

  「われわれは、モスクワのソヴィエト政府が嫌いだからといって、ロシアの小作人たちがひどく必要としている農具を売るのを断われるだろうか。ある国の政府を承認するのは、それを賛美するということではない・・・」

正反対の主張をしてはいるが、ウォール街とCFRがボルシェヴィキと早々と蜜月を楽しんだことは明らかである。おそらくその最良の証言はソヴィエト政府自体の駐在員の一人ニューヨークのソヴィエト事務所のルートヴィヒ・マルテンス[Ludwig C.A.K. Martens]から出たものであろう。

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彼は一九一九年にアメリカにおけるソヴィエトの影響を調査する上院の委員会に喚問された。ニューヨーク・タイムズ紙が次のように報道している。

  「マルテンスの話では、彼は急進論者やプロレタリアートに宣伝を続けるのではなく、わが国の大企業や製造業者を説いてロシア側に引き入れることに努力の大半を費やしたという。・・・マルテンスは、わが国の大方の大企業は彼がわが政府のソヴィエト政府承認を獲得しようとする努力を助けてくれていると表明した」(17)


ジェームス・パーロフ 権力の影 第3章 CFRの誕生と全体主義との初期のつながり p94-100より



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CFRの創立時理事長[the founding President]ジョン・W・デーヴィス[John William Davis, 1873-1955](右)はJ・P・モルガンの個人的代理人であった。モルガン社の銀行業務に対する上院の査問の間に打ち合わせするモルガンとデーヴィス。モルガンのパートナーでCFRの設立会員であるトマス・ラモントが左側に見える--ラモントは日本とのつながりが深く、大正~昭和初期に数度日本を訪問し、大震災の復興債などを引き受けた。そして昭和金融恐慌直後にも来日し、満鉄の債券引き受けを申し出たが、拒否されたため、次なる対日陰謀にとりかかった。




米国に裏切られる日本 オルタ
http://alternativereport1.seesaa.net/


 1998年.中国政府が作成した対・日本戦略文書「中国国務院対日内部文書」には「日本は基礎科学研究を.おろそかにし.既に技術水準では欧米に劣る2流国家になっている。日本は中国の戦略的パートナーとしては.ふさわしくない。中国は米国.ロシアとの同盟関係を最重要視し.国家戦略を立てるべきである」と記載されている。

一方.同じ98年.米国ホワイトハウスが作成した「世界の国力比較研究」には.「日本は.既に技術水準では欧米に劣る2流国家になっている。日本は.米国の戦略的パートナーとしては.ふさわしくない。米国は中国との同盟関係を重要視し.アジア戦略を立てるべきである」と記載されている。

中国政府と.米国政府の中枢が作成した.この2つの「国家戦略文書」は.ほぼ内容が同一であり.「誰かが作成した原版を.中国語と英語に翻案した」としか考えられない

いずれにしても.10年程前から.中国と米国は.アジアにおける「日本排除戦略」を協調して練り上げて来た事が分かる。第2次世界大戦でも.中国と戦争し.米国を敵に回した時.日本は「ハサミ撃ち」に会い.壊滅状態に追い込まれている。

「中国.北朝鮮を敵視し」.米国との同盟関係に「頼る」という現在の日本の戦略.日本人の思考パターンは.決定的に「時代遅れ」になっている。新しい国家戦略を持たなければ.日本は窮地に追い込まれる。「米国は日本を裏切る」.という.国際社会では「誰でも自分を裏切り.敵と成り得る」という.ごく当たり前の常識の下.国家の戦略を再構築しなければ.ならない



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              タイ、タクシン派はなぜか赤シャツ隊?

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by oninomae | 2009-04-12 17:29 | イルミナティ  

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