CFR創立の時代背景 by 馬野周二

権力の影 解説 馬野周二


創立の時代背景


CFR(外交評議会)が正式に発足したのは一九二一年である。第一次世界大戦は一九一八年に終わり、ヴェルサイユ平和会議は翌一九一九年六月に終了した。ドイツに対する過酷きわまりない条約であるが、その発効は一九二〇年からであった。そしていよいよ運命の一九二一年になる。この年にワシントン軍縮会議が米国大統領ハーディング[Warren Gamaliel Harding, 1865-1923]によって招集された。この会議はじつに以後今日までの世界を決定したものである。ある辞典はその内容を次のように述べている。

  軍備制限、太平洋問題、中国問題で、米、ベルギー、英、中、仏、伊、日、蘭、ポルトガルが参加した国際会議。海軍軍備制限条約(日、英、米、仏、伊五カ国の主力艦建造十年停止、保有トン数を英米五、日三、伊一・六七に制限)、九カ国条約、四カ国条約、中国関税に関する条約などが締結された。それと同時に日英同盟と、石井・ランシング協定の廃棄、対華二十一ヵ条要求の第五号撤回、対満蒙投資優先権放棄声明、膠州湾租借地返還、シベリア撤兵に関する約束など、日本の既得権益は大きく制限され、いわゆるワシントン体制の圧迫のなかで国際的孤立を深め、アメリカとの対立を激化させた。(講談社・大事典desk)

わが国のみについてこの条約の内容をみれば、その意図するところは日露戦争によって得た権益の多くを剥奪し、しかも日本に代わって米国自身が満州と中国に入ろうとするものであったことが明らかである。 日英同盟(一九〇二)と日露戦争(一九〇四)はセットであって、これはロシア帝国の東方海洋への進出を日英両国が共同して防ごうとするものであった。誰しも知るように米国大統領セオドア・ルーズベルト[Theodore Roosevelt, 1858-1919]はポーツマス会議において日露両国の仲介に入り、講和条約を成立させた。いっぽう貧乏な日本に気前よく戦費を貸してくれたのはクーン・ロエブ商会のヤコブ・ヘンリー・シフ[Jacob Schiff,1847-1920]であった。シフは元来フランクフルトに住んでいたユダヤ人でロスチャイルドと血縁的に関係がある。日露戦争を彼らの側からみれば、ロシア帝国を傷め、その東方政策を挫折させ、代わりに自分たちが東アジアに入り込むために日本を使ったということにすぎない。 (蛇足:もちろん根本的にはロシア帝政転覆狙いでしたが)

現在の日米関係でも明らかなように、アメリカの対外政策は古くからその財閥によって動かされてきた。ルーズベルトやシフを使って(引用注:アメリカではシフがボスだったでしょうけど)ロシアを追い払った真空(と彼らが思った)、満州の利権を放置することなどは到底あり得ないのだ。 ポーツマス条約から全権小村寿太郎を乗せた船が東京湾に入るのと入れ替わりに、

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米国の鉄道王ハリマン[Edward Henry Harriman, 1848-1909]の帰国する船が出ていったと言われているが、

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これはまったく皮肉な邂逅であった。彼は伊藤博文[1841-1909]や井上馨[11836-1915]らと南満州鉄道への資本投下の契約をすませて帰国の途上であったのだ。

東京に帰り着くとすぐに井上らからこの件を知らされた小村は絶対反対を唱え、日本政府はハリマンに電報してこの仮契約を解消した。井上らは今日の政治家、官僚、企業家とおなじく米国崇拝、日本蔑視の風がつよく余りに単純で、ハリマンや米国の長期の構想、戦略が読めなかったのである。

別の本に書いたことだが、ハリマンの満鉄への執心の心底は、たんにシベリア鉄道に触手を伸ばして欧亜横断鉄道の覇権を握ろうとしただけでなく、じつにこれをエルサレムまで伸ばそうと考えていたとも言われている。(中略)


機敏なハリマンは満州侵入の先鋒をつとめたのだが、日本は意外に手強かった。日本人は十万の英霊によって購ったこの満州の地を、歯を食い縛ってでも自力で開発する決意であった。彼らからみればこの日本国民のいじらしい気持ちは訳がわからない。

ハリマンにせよ誰にせよ、米国支配層の考えからすれば、満州を日本に与えたのは他ならぬ自分たちだ、資金、技術、経営力の未熟なお前たちにこれらを与え、利益を分けようというのだから、それを断るとはどういうことだ。これが彼らの胸のうちである。この彼らの考えの本質はいまでもなにも変わってはいない。 

ではなぜ小村が契約破棄という非常手段に訴えてでも満州権益を独占しようとしたのか。

勿論将来の日本の東アジア政策の第一歩として満州の制御は必要である。米国といえども日露戦争の成果を、当時の日本から全部取り上げることが出来るとまでは考えていなかったであろう。これは今日でも同じであるが、米国支配中枢の考えは、自分たちと同じ世界観を持つなら"仲間"として共同でやっていこうというものである。ハリマンにしてみれば、伊藤、井上、小村たち日本の支配者と組んで日本の庶民を東アジアの二級市民として使い、朝鮮人、清国人を奴隷として収奪しようというのだ。なぜ彼らがこの結構な自分たちの申し出をにべもなく断るのか、という思いであったろう。このことは今日のアメリカ支配層の考えにも共通している。彼らが構造協議などを通じて執拗に要求しているのはこのことに他ならない。

ところがこの思想ほど日本の国家と社会に遠いものはないのだ。満州の荒野に骨を晒した十万の英霊は永遠の日本国家と民族のための人柱である。同胞の血で購った土地を、ただいま金がないから、技術がないからといってむざむざと外国にわたすとは、というのが日本人誰しもの心のうちであった。伊藤や井上といった人たちはなにがしか、このアメリカ的思想にかぶれていたと思われるし、鹿鳴館に象徴された伊藤の親欧的思想からすれば、ハリマンの申し出を有り難く受け入れたのは当然であろう。だがその後の満鉄の発展からしても伊藤たちの考えは間違っていた。

小村も専門の外交官としてこういう米国の考えは十分に知っていた。だが彼は国士であり外国と日本との本質的な相違を、論理的ではないとしてもすくなくとも直感していたのではないだろうか。それはそれとして当時の小村はまた別の考えを持っていたのではないかと私は考えている。つまり彼はポーツマスで多くの外国人と渡り合っているうちに、彼らの本心は日本を傭兵にしてアジアを躁踊することだとわかったのだろう。明治人としての彼には当然ハリマンの申し出を蹴ることになる。

ところが日露戦争の分け前をアメリカに与えなかったことの反応は以後長いあいだ燻りつづけるたとえば当の伊藤博文であるが、彼はよく知られているように明治四十二年(一九〇九)にハルビン駅頭でみずから大韓国人と名のる安重根[1879-1910]に狙撃されて落命した。この安は韓国では今日「安義士」として非常に尊崇されている。たしかにこの人物は立派であったが、しかしその背後関係にも注意を払う必要があろう。

私はどうも彼の背後に外国勢力の影を見る気がする。彼は事件の直前にウラジオストックやハバロフスクを廻っているし、彼に最後まで付き添っていたのはフランス人神父ヴィレヘムである。安はカトリックに深く入信していた。

一方また米国の奉天総領事ストレートが暗殺の黒幕であったとする見方もある。後の第一次大戦の引き金となったオーストリア皇太子夫妻の暗殺者プリンチップは明らかにフリーメーソンの指導下にあった。安重根の背後にアメリカ支配中枢=フリーメーソン、イルミナティ、スカル・アンド・ボーンズがいたとしても飛躍した想像ではなかろう。実際アメリカは伊藤を消すべき理由は十分あった。


米国の東アジア戦略

いったい伊藤は何を話すためにロシアを訪問しようとしていたのか。

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ハルビンに伊藤を迎えたロシア帝国大蔵大臣ココフツェーフはなんのために極東に来ていたのか。一言われているところでは、この暗殺には清国人もまた関わっていたという。すでにこの早い時期に後年日支事変から日米戦争に至る間の米中対日本の抗争関係が始まっていたのだ。

伊藤は日露戦争には賛成ではなかった。それは彼がロシアの力を過大に評価していたからであるが、一方また彼はロシア絶対帝政を讃美していたからでもある。戦後の日本は対ロシア感情の改善に務めたが、彼は一歩進んで日露同盟を構想していた。それは国内では反対が多かったが、ロシア帝政の大官、大蔵大臣ココフツェーフをしてわざわざハルビンまで出迎えさせたロシア帝国の思惑をよく考えみるべきであろう。やんぬるかな伊藤は葬られた。

伊藤がストレートの謀略によって殺されたのかどうかはわからない。証拠はまったくない。しかし日露親善の親玉である伊藤を葬り、日露間にくさびを打ち込む。そうしておいて、次に全満州の鉄道の中立化を名目にして、これを米国資本の支配下におく。これが米国のシナリオであったろう。 伊藤の立場は米国の満州侵入の野望をいかにして挫折させるかにあった。

だが伊藤は消され、ロシア帝政は革命に倒れた私がいつも述べているように、共産主義もアメリカ資本主義も一つ穴の狢であってみれば、この結末の仕掛け人を割り出す事は簡単であろう。実際彼は事態を深く遠くみていた。このときハルビンに向かう列車のなかで随行の川上俊彦総領事に「新旧大陸対峙論」を話しているという。つまり旧大陸のヨーロッパとアジアが争っていれば、漁夫の利を得るのは新大陸の米国である。そうなればいずれ米国が世界を制するようになる。そうなる前に欧亜は手を結び、米国の横暴を押さえなくてはならない。これが人類平和の道である、という壮大な戦略であった。彼がハルビンに乗り込み、ココフツェーフが迎えに出たのは、背後にこれだけの日露双方の思いがあったのだ。

伊藤暗殺の直後、果たせるかな米国政府は筋書きどおりに全満州鉄道中立化を提案してきた。しかし暗殺計画は成功したが、満州鉄道への割り込みは成功しなかった。日露両国政府はこの申し入れを蹴った。伊藤の死の翌年のことである。そして三月安重根の死刑が執行され、七月第二回日露協約が締結された。これは西暦でいうと一九一〇年のことである。

最近私は一九〇〇年代初めの帝政期ロシアの写真集を手に入れた。"Before the Revolution, St. Petersburg in Photographs: 1880-1914"という昨年発行されたものである。これを見て私は帝政時代のロシアについて大いに認識を改めた。それまで帝政ロシアについて余りに低く評価しすぎていた。この街はやはりヨーロッパの他の首都とさして懸隔のない物理的装備、建物などを持っていたことがよくわかった。実は私も二十数年前に現在ではザンクトペテルブルクというこの街を訪ねているのだが、そのときは処々が壊れかかり、薄汚れた印象であった。共産主義なるものがいかにすべてを破壊したかを実見したわけだが、その印象に災いされてありしよき帝政時代のあったことに気づいていなかったのである。

ああ、このよき時代を滅茶苦茶にし数千万人を殺戮した共産主義とは!本書を読み進まれるとお分かりのことだが、CFRの思想的ルーツの一つは正しく共産主義なのである。

伊藤がもう数年生きていたならば欧州大戦の勃発をどう見たであろうか。新大陸米国は手段を弄してこの旧大陸の戦争に遮二無二入り込んだ。元来米国は旧大陸欧州から離れて、その政治から絶縁し、自分たちだけで理想の国家をつくろうとして建国されたものである。このことはその独立宣言に銘記されている。この思想は以来アメリカ人の心の中に強く生き残ってきた。

この彼らの考えから、欧州大戦への参戦はいかにその財閥が望もうとも困難な状況にあった。しかしアメリカ支配層の知恵と行動力は民衆の及ぶところではない。米国の政治制度はデモクラシーである。この政治の理念はそれなりに評価されるが、現実に現れた状態はその漸進的名目化、空洞化で、支配者たちによってアメリカの民衆と国家はますます自由自在に操られるようになっている。民衆を操り国家を騙す方法はいろいろだが、この第一次欧州大戦への参戦の細工は今日おおよそ明らかになっている。

当時の大統領はウッドロー・ウィルソン[Thomas Woodrow Wilson, 1856-1924]であったが、この大統領自身がまったくの傀儡で、当時の大黒幕バーナード・バルーク[Bernard Baruch, 1870-1965]によって

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引き出され大統領に据えられた者である。自由選挙とはいうが、その当時の実態は買収やコネなどによって如何ようにでも動かされる選挙人による間接選挙であるから、その実情はひどいものだった。ウィルソンは明らかに欧州大戦に参戦することを重要な任務として与えられて、つまり支配者たちの犬となることを承知して、プリンストン大学総長から大統領選挙に出された者である。彼は命ぜられるままに行動し、米国はついに参戦した。もっとも彼のために弁明しておけば、その任期の末にはジェデス夫人が彼らの陰謀を悟ったことによって悪人たちとは手を切ったのだが。

このウィルソンとフランクリン・ルーズベルトは操られた大統領のなかの双壁であったが、興味深いのはハウス大佐["Colonel" Edward Mandell House, 1858-1938]、

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ルイス・ハウ[Lewis Howe]、ハリー・ホプキンス[Harry Lloyd Hopkins, 1890-1946]という素性のわからない側近が形影相添うように彼らに密着していたことである。これは私の想像だがハウスはおそらくロスチャイルドの付け人であったし、ホプキンスはバルークの配下で国際共産主義者の仲間ではなかったか

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かくてこの二人は米国の第一、第二次大戦への参戦を果たした。米国をこの両次大戦に追い込んだ業師たちの活動については書くべきことが多いが、別の機会に譲る。

だが彼らがアメリカを参戦に追い込むために使った大胆不敵で情け容赦のない手口をひとつだけ紹介しておこう。それはルシタニア号爆沈事件である。この英国キューナード汽船会社の誇る大西洋横断豪華大客船は、ニューヨークから英国のリバプールに向かっていたが、一九一五年五月七日アイルランド沖でドイツ潜水艦の魚雷攻撃によって沈没した。イギリス人一二〇〇人、アメリカ人一二八人が死亡した。以前からこの事件は、アメリカ政府を動かす悪人たちによって仕組まれたものだと言われてきたが、イギリスの作家コリン・シンプソンは一九七二年に『ルシタニア』と題する本を出して、そのことを確証した(Colin Simpson: The Lucitania,1972)。

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この船はニューヨーク埠頭で弾薬を積み込み、ドイツ潜水艦の巣であるアイルランド沖を低速で航行し、意図的に餌食にされたのである。それまでアメリカの世論はドイツに同情的であったが、この事件以来反独的となった。まさしく謀略者たちの思うつぼに国民が嵌まったのだ。真相が正確に検証されるまでに半世紀以上かかっている。

この手口は日本海軍の真珠湾攻撃の場合と非常によく似ている。いずれも情け容赦のない人命の犠牲によって、反戦的気分の国民を一挙地滑り的に戦争に追い込む。

今世紀初めカーネギー研究所は数名のもっとも能力のある歴史学者を集めて社会と人心を根本的に変えるには何が一番効果的かを諮問したといわれている。彼らの答えは、それは「戦争だ」というものであった伊藤博文は半世紀前に旧大陸への新大陸の干渉を恐れたが、ロシアもヨーロッパも日本も、(引用注:イルミナティ銀行家の取り憑いた)新大陸の謀略国家アメリカによって「戦争」という修羅場に引き込まれ、破滅したのである。

続く


ジェームス・パーロフ 権力の影(1988、 馬野周二訳:1992.8) 訳者解説 p14-22 より


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CFR member Paul Wolfowitz greets his comrade CFR member Zalmay Khalilzad at the Pentagon.

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by oninomae | 2009-04-05 22:57 | イルミナティ  

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