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トルーマン時代 by ジェームス・パーロフ 1 六人のCFRメンバーとマーシャル・プラン

権力の影 第6章 トルーマン時代

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ハリー・トルーマン(左)とジョン・マクロイ(中央)とディーン・アチソン(右)--「『ソヴィエトの脅威のことに触れると人々は起き上がり耳を傾ける』と彼は後に言っている。それは彼に次の貴重な教訓を与えた。すなわち確実にある意見が認められるようにする一つの道は共産主義の拡大に抵抗するという言い方でそれをぶつけることである、と」。彼らは言う、「アチソンは英国との連帯案への支持をかち取るには反共産主義的修辞が必要だとの結論に達した」。



六人のCFRメンバー

FDRが一九四五年四月十二日に没し副大統領ハリー・トルーマン[Harry S. Truman, 1884-1972]が後を継いだ。トルーマンはミズーリ州出身の前上院議員で、悪名高いペンダーガスト派組織[訳注:酒密売、買収、脅迫等悪評の多い民主党の地方ボスの組織]の支援により政治で身を起こしたが同組織は後に不正投票の廉で徹底的に訴追された。

ウォルター・アイザクソンとエヴァン・トマス共著の好評の書"The Wise Men"はトルーマン時代に最も勢力を振るった六人の政治家に焦点を当てている。

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それらの政治家はディーン・アチソン[Dean Gooderham Acheson, 1893-1971](トルーマン内閣の国務長官)、
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ロバート・ラヴェット[Robert A. Lovett, 1895-1986](国務次官、後に国防長官)、
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エイヴリル・ハリマン[W. Averell Harriman, 1891–1986](各種地位を歴任)、
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ジョン・マクロイ[John J. McCloy, 1985-1989](ドイツ駐在高等弁務官)、
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ジョージ・ケナン[George Frost Kennan, 1905-2004](国務省顧問、ソ連駐在大使)
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およびチャールズ・ボーレン[Charles E. Bohlen, 1904-74](国務省顧問)であった。
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同書ではこれらの人を「今日までアメリカの政策を支配する遺産を残した」「アメリカの世紀の創造者」と呼んでいる。偶然にもこの六人はすべてCFRのメンバーであり、彼らの素性はほとんどが典型的な支配階級である

ハリー・トルーマンは躾によって彼らを型に嵌めようとはしなかった。彼はハーバード大学の出身でもウォール街の出身でもまたCFRの出身でもない。ルーズベルトの没後「賢人たち」の何人かがホワイトハウスに押しかけ、アイザクソンとトマスのいう「ハリー・トルーマンの洗脳教育」を始めたのである(1)。


マーシャルの企み

ヨーロッパ向けニューディール


波乱の多いトルーマン時代の最大の呼び物の一つは、疑いもなく合衆国が西欧に与えた大量抱き合わせ経済援助であった。ジョージ・マーシャル[George Catlett Marshall, 1880-1959]将軍は、今や国務長官となって一九四七年のハーバード大学卒業式で本計画を提唱した。
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ありきたりの歴史書ではこの概念はマーシャルが考え出したものと決めているが、実際はCFRで生まれたものだとしても驚くに当らない。

CFRの研究「至高のブレーン・トラスト」のなかで、ローレンス・シャウプとウィりアム・ミンターが次のように報告している。

  「一九四六年から四七年にかけて弁護士チャールズ・M・スポフォード[Charles M. Spofford, 1902-1991]が、デイヴィッド・ロックフェラーの秘書として西ヨーロッパ復興に関する[CFRの研究]グループを主宰した。一九四七ー一九四八年にその主要部がマーシャル・プランと名を変えて呼ばれた。CFRの一九四八年度年次報告には、ジョージ・C・マーシャル国務長官が一九四七年にヨーロッパ援助提案を行う前に、スポフォード・グループがヨーロッパヘの援助の必要性を『明らかにし』、『マーシャル・プランのために必要とするものの説明を助け、またこのプランがアメリカ外交政策にとって提起するであろう問題をいくつか指摘した』ことが説明されている。そのうえ一九四七-一九四八年グループの多数のメンバーが政府諸機関との関係・・・を通して事の成り行きを常に把握していた」(2)

このプランは当初トルーマン・プランと呼ばれるはずであったが、それは沙汰止みとなった。マーシャル--彼は戦時中参謀総長であった--という名のほうが、議会の超党派的支持をより多く引き出せそうに思えたためである(3)。こうしてマーシャルが選ばれて本提案を公に紹介した。

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マーシャル・プランはアメリカ経済協力局(ECA)に監督されながら、百三十億ドルをアメリカ納税者の手から西欧へと移した。しかしそのドルは最後にはどこへ行ったのか。

一九八六年にタイラー・カウエンがリーズン誌に次のように述べている。「ECAを通じて道をつけられた援助はすべて特定のアメリカの品と役務を購入するよう紐が付けられていた。この点でマーシャル・プランはアメリカ納税者の費用でいくつかのアメリカ企業に補助金を出したのである」(4)。カウエンは自分の記事に、「二十世紀外国援助の大ふざけ」と表題をつけた。自分たちの製品をアメリカ人に買ってもらえない企業が、今度はそのアメリカ人に代理人を通じてヨーロッパ消費者へ金を払うよう強いたのである。

ヨーロッパヘ送られた品物のなかには、供給過剰のもの、水増し価格のもの、品質の劣るものもあった--しかしヨーロッパ諸国は、ECAが定めたものを引き取った。それでもいいではないか。彼らにとっては無料なのだから。

マーシャル・プランはもともとは人道主義的事業として提出された。しかし予算を確保するには合衆国議員の承認が必要であったが、その国会議貝の多くが不同意を表明していた。なかにはそれを「ヨーロッパ向けニューディール」と呼ぶものもいた。

そこで異なる宣伝法が採られた。いわく、援助がソヴィエトの侵略を防止するだろう、と。アイザクソンとトマスはジョン・マクロイの言を引用している。

  「『ソヴィエトの脅威のことに触れると人々は起き上がり耳を傾ける』と彼は後に言っている。それは彼に次の貴重な教訓を与えた。すなわち確実にある意見が認められるようにする一つの道は共産主義の拡大に抵抗するという言い方でそれをぶつけることである、と」 (5)

彼らは言う、「アチソンは英国との連帯案への支持を勝ち取るには反共産主義的修辞が必要だとの結論に達した」 (6)と。

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President Truman with top leaders of the Marshall Plan (left to right: Secretary of State George C. Marshall, head of the Economic Cooperation Administration Paul G. Hoffman, and the special representative to the countries partcipating in the Marshall Plan, Averell Harriman), November 29, 1948.

トルーマン・ドクトリンの本音

一九四七年三月ハリー・トルーマンがまず率先して、アメリカは侵略に対抗して世界中の民主主義国を擁護する、といういわゆるトルーマン・ドクトリンを発表した。

しかしながら"The Wise Men"は「実は、トルーマンの本意は言葉通りではなかった」と主張する(7)。

  「『マーシャル将軍と私には、あの演説における反共産主義はいささか華々しすぎると思われた』と後年ボーレンが回顧した。マーシャルとボーレンは調子を少し下げるよう要請する電報をワシントンに送った。トルーマンからはぶっきらぽうに議会が支出を認めないだろうという回答が返ってきた」 (8)

マーシャル・プランを制定するうえで六人のCFRの「賢人」はそれぞれ独自の役割を演じた。たとえばハリマンはヨーロッパにおけるこの計画の管理者となり、ボーレンは渉外を担当しラヴエットはソヴィエトの脅威について毎日議会に証言し、アチソンは一時的に公務を離れてマーシャル・プラン推進市民委員会を結成し、ジョン・マクロイは世界銀行の総裁となってヨーロッパに対する借款を取り決めた。

ジョージ.ケナンは『フォーリン・アフェアーズ』に掲載された最も著名な論文を書いたとき--故意か無意識かわからないが--知的理由付けを加えた。「ソヴィエトの行動の源泉」と名づけ匿名で「X」と署名されたこの記事は、一部がライフ誌とリーダーズ・ダイジェスト誌に転載された。そのなかでケナンは合衆国は共産主義を「封じ込める」べきではないかと言い、この思想がアメリカの冷戦戦略の基本となったフォーリン・アフェアーズ』はマーシャルの講演の翌月すなわち一九四七年七月に記事を掲載した。ケナンはプラット・ハウスでの演説で彼の考えを要約し、そのあと『フォーリン・アフェアーズ』編集者のハミルトン・フィッシュ・アームストロングが書面にした論文がほしいとケナンに要請した。同じ号にヨーロッパ援助を提案するアームストロングのトップ記事が載っていたのも意味なしとはしない

ソヴィエトの拡張主義を阻むという言い方で激しい売り込みをかけられて、議会も今は同計画を承認した--ジョー・マッカーシー[Joseph McCarthy, 1908-57][訳注:猛烈な赤狩り運動を行った上院議員]でさえ賛成投票をした。しかし部内者たちは実情を知っていた。チャールズ・L・ミーがその著"The Marshall Plan"のなかで、世界銀行のフランス執行理事ピエール・マンデス-フランスの言を以下のように引用している。

  「共産諸国は非常に役に立っている。われわれに『共産主義の脅威』があるので、アメリカ人はわれわれを助けようと甚大な努力を払っている。われわれはこの絶対必要な共産主義騒ぎを持続させねばならない」  (9)

このことはソヴィエトの脅威がないなどと言っているのではない--スターリンはすでにヨーロッパの半ばを支配下に置いている。しかしながらそのことからも一部裏書きされる事柄は、CFRメンバーが反共産主義を公表するときは裏に秘めた動機があってそうすることが多いということである。


北大西洋条約機構およびその他の同盟

"反共産主義同盟"


一九四六年のミズーリ州フルトンにおける演説で、はじめて「鉄の力ーテン」について警告したのはウィンストン・チャーチルであった。しかしながらよく記憶に残っていないのは、彼が唱えた「英語国民の友愛連合」という解決法である。

北大西洋条約機構(NATO)は正式には一九四九年に設立され、アメリカ人にはその後ずっと反共産主義同盟だと説明されてきた。

しかしCFRによる定義はそれよりはるかに狭いものである。CFRはすべての地域組織を世界政権の提携ブロックを築くものとみなした。 この見解は早くも一九二六年の『フォーリン・アフェアーズ』に表明され、エドアルト・ベネシュが次のように書いている。

  「ロカルノ条約[ヨーロッパの集団安全保障協定]は、徐々に--ジュネーヴ議定書[訳注:一九二四年第五回国際連盟総会で二十ニカ国により調印された国際紛争解決の協定]の精神に溢れた諸々の条約や地域協定によって--同一目的に到達するという試みを表現し、またこれら諸条約・協定が絶えず補正され、終には国際連盟の体制内で各国家間の生活に法律規定を強制することによって、世界の安全と平和を保証する大世界協定に吸収されるという試みを象徴しているのである」(10)

一九四八年四月国務次官ロバート・ラヴェットがひそかにNATO同盟を取りまとめていた時、『フォーリン・アフェアーズ』が、

  「諸国の地域組織が国連の体制内で動くよう組成されるなら、それは国連を強化するだけのことである」 (11)

と言及した。そしてアメリカのNATO加入が合衆国上院で批准されて間もなく、CFRメンバーのエルモ・ローパー[Elmo Roper, 1900-71]が「目標は一極世界支配政権だ」という小論文のなかで慎重に述べている。

  「しかしNATOを、より大きい統一体への最後の努力だとするには及ばない。それは世界平和を目指して活動する一層堅実で一層重要な一段階に変えることができる。いわば単一協調世界へと向かう最も積極的な動きの一つと言ってよい」 (12)

企みの真意

当時NATOにとっては、マーシャル・プランにとってと同様、反共産主義は明らかに売込みの眼玉であった。原計画では西ヨーロッパの軍事力を一つの軍隊に統合することを要求していたが、これは西ヨーロッパ各国自身が拒否した--各国が続いている限りはNATOのような同盟でいくというのである。しかしながらヨーロッパ統一への圧力は決して止まなかったヨーロッパ共同市場(一九五七年創設)やヨーロッパ共同体議会(最初の一般投票を一九七九年に行った)のような共同組織により、ヨーロッパは次第に集団的一極世界支配単位体になってきた。

いうまでもなくNATOは独自のものではない。一九六四年に『フォーリン・アフェアーズ』の論文「六〇年代の世界秩序」のなかで執筆者のロベルト・ドゥチが次のように解説している。

  「そのように広範でより責任の伴う政治単位が形成されるまでの間、国連憲章に認められる種類の地域組織が奨励されてしかるべきである。これらの組織はそれぞれの地域の平和維持が可能になるよう強化されねばならない。北大西洋におけるNATO、ヨーロッパ地域における欧州理事会、南北アメリカの米州機構、アフリカのアフリカ統一機構、東南アジアの東南アジア条約機構、みな然りである」(13)

CFRは数十年にわたり世界政権に近づくこの高まりを推し進め、『フォーリン・アフェアーズ』は「ヨーロッパ統合をめざして。先ず農業から」とか「アフリカに統一体を」「カリブ海連合へ」等々のような表題を載せた。

北大西洋情勢を考えれば、マーシャル・プランもNATOも、いずれも世界秩序への道の中間地点としてアメリカとヨーロッパを拘束力を持つ同盟関係に追い込むために、ソヴィエト共産主義の脅威を利用しようとする企みの一面として理解できなくはない。この同盟のためにマーシャル・プランが経済的基盤を作ったのに対し、NATOのほうは軍事的要素を表現した。

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政治同盟--最終的かつ最も重要な段階である--は、一極世界支配主義者が気まぐれに「アトランティカ」と名付けた大西洋連邦の形で実現すると想定された。CFRメンバーたちの支配する「大西洋連合委員会」と称する組織がこの構想を推進するため結成された。同委員会は一九五〇年代、六〇年代を通じて非常に熱心に活動し、また同会およびその後身の大西洋理事会の裏工作努力によって現実にいくつかの決議案が議会に提出され、議会は大西洋連合の基礎を固める会議を認可しようとしていた。

しかしながらこれらの提案はアメリカ国民によって選ばれた代表者たちによって一貫して拒否されたのである。


ジェームス・パーロフ 権力の影(1988、 馬野周二訳:1992.8) 第6章 トルーマン時代 p149-158 より



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参照

旧ソ連の反体制派ウラジーミル・バコフスキーがEU独裁制へ警告する 1
http://satehate.exblog.jp/10568079/


旧ソ連の反体制派ウラジーミル・バコフスキーがEU独裁制へ警告する 2
http://satehate.exblog.jp/10568113/



The London Summit 2009
http://www.londonsummit.gov.uk/en/

'World needs global rules founded on shared global values', says Brown
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by oninomae | 2009-04-01 20:20 | イルミナティ  

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