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誰が何のために原爆をつくったのか by 鬼塚英昭

偽装機関「管用合金管理委員会」の実像

イギリスの原爆開発を別の方向から見ることにする。金子敦郎の『世界を不幸にする原爆カード』(二〇〇七年)から引用する。

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  核分裂から巨大なエネルギーが放出されることを最初に推論したボーア研究所のフリッツ〔・シュトラウス〕は一九三九年夏、バーミンガム大学のM・オリファント[Sir Marcus 'Mark' Laurence Elwin Oliphant]物理学部長に招かれて英国滞在中だったが、迫りくる戦乱を避けてそのまま英国の原爆開発計画に参加することになった。英国ではインペリアル・カレッジのG・P・トムソン[Sir George Paget Thomson]教授らの物理学者が、核分裂が原子爆弾につながることにいち早く気づいていた。フリッツはドイツからの亡命物理学者R・パイエルス[Rudolph Peierls]と協力して一九四〇年はじめに、核分裂を利用して強力な爆弾を作ることが可能と結論づけるリポートをまとめた。この研究結果はバーミンガム大学から英国政府の防空科学研究委員会に伝えられ、英国も原爆開発のための委員会を設置した。委員長にトムソンが就き、数人の科学者が加わった。後にM・S・ブラケット[Patrick Maynard Stuart Blackett, Baron Blackett]も参加する。四月十日、第一回の委員会が開催された。この委員会は六月に暗号名「モード(MAUD)委員会」と名付けられた。

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モード委員会は科学者を集めて意見を交換し、学術的な報告書を提出させる一委員会である。しかし、第二次世界大戦が勃発すると、イギリスの原爆に関する最高機密は、チャーチル首相からルーズヴェルト大統領への秘密ルートで流出するのである。 その過程でイギリスでは原子力産業建設のための初期段階の措置がとられる。この措置は化学・電機トラストヘの優遇処置でもある。すなわち・原爆産業が育ち、この原爆産業がアメリカの化学・電機トラストと結びつくのである。そのためにつくられた委員会は機密保持のため、「管用合金管理委員会」と名付けられた。実体を隠蔽する偽りの名称である。

チャーチル首相はこの委員会の監督をサー・ジョージ・アンダーソンに命じた。彼は保守党最高幹部の一人で戦時内閣の閣僚でもあった。アンダーソンはこの委員会の委員長にインペリアル・ケミカルズ[Imperial Chemical Industries]の重役、W・A・エーカーズ(後にサー・ウォーレス)を任命した。インペリアル・ケミカルズは・ロスチャイルドが支配する英国の中核企業群の一つである。一九一二九年から一九五一年まで英国特殊情報部(SIS)の長官であったスチュアート・メンジース[Stewart Menzies]大佐はこの会社の一族である。

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その後、インペリアル・ケミカルズとヴィッカース[Vickers Limited]がこの委員会を完全に支配した。ヴィッカースはロスチャイルド傘下の主要企業である。英国最大の軍需会社であり、ロスチャイルド一族がほぼ完全に支配している。「ヨーロッパの謎の男」とも「死の商人」とも形容された、サー・バジル・ザハロフ[Basil Zaharoff, 1849-1936, ロシア生まれのユダヤ人]がヴィッカースの役員の一人であったことからも、この企業の存在の意味が理解できよう。

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管用合金管理委員会の協力機関のなかで最も重要なのは「拡散施設委員会」であった。この委員会の十五人の委員のうちの十人はインペリアル・ケミカルズ出身で、二人はヴィッカース出身であった。この委員会ではいかなる発明が原子力関係として扱われるかが検討された。 自社に有利な研究が採用され、巨額なポンドが英国政府から供給され続けたのである。 従って、チャーチルはインペリアル・ケミカルズとヴィッカースの傘下の化学トラストと兵器トラストのみに英国のポンドを与え続けたということになった。かくて、この委員会から生まれた「管用合金計画」によりヴィッカースはイギリス原子化学者の研究した原理にもとづいて、いくつかの模型機械を試作した。ヴィッカース傘下の企業体がこの製造に参加し続けた。

化学財閥のインペリアル・ケミカルズは同計画の最も広範な部分をうけもった。新しい建設材料、工程の複雑な構成部分、最終設計に関する調査が行われた。ウラン238からウラン235を抽出するガス拡散工場の研究が続けられた。この作業には同社の傘下のモンド・ニッケル・カンパニー(カナダのインターナショナル・ニッケルと合併していた)も参加した。親会社が重水とウランを大量に提供し、子会社が純粋ウラニウム金属をつくり出すというわけである。

この計画ならびに初期のイギリスの原子力産業の段階を見ても、読者はすでに理解できたはずである。それは、兵器カルテル(企業連合)による原子爆弾製造の経緯であることを。では、この管用合金管理委員会はどうなったのか?イギリスはドイツとの戦争に深入りし、原爆開発計画が挫折するのである。

サー・ジョージ・アンダーソンはチャーチルの意向を受け、この原爆計画をアメリカに売り込むのである。

チャーチル首相は一九四三年八月にカナダのケベックルーズヴェルト大統領と会談する。このとき、サー・ジョージ・アンダーソンが英米共同作業のために訪米する。チャーチルはルーズヴェルトとの間にケベック協定[Quebec Agreement]を結んだ。


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  一、原爆独占に関する条項両国は互いに相手国に対して原爆を使わない。相互の同意なしに原爆に関する情報を第三国に伝えない。
  二、原子力の商業利用(原子力発電など)に関する条項製造の経費負担が米国に重くかかっているから、戦後商工業上の利益が生じた時は話合って対応する。
  三、協力の保証についてワシントンに合同委員会を設置し、情報とアイデアの交流を行う。(金子敦郎『世界を不幸にする原爆力ード」)

チャーチルとルーズヴェルトのケベック協定は、イギリス側からの原爆開発の情報をアメリカ側に一方的に伝えるという意図が読み取れる。チャーチルはどうしてルーズヴェルトに譲歩したのであろうか?

二つの理由が考えられる。その一つは、イギリスの財政逼迫である。武器貸与法によるアメリカの援助を強く求めたがためである。チャーチルに随行したサー・ジョージ・アンダーソンが後にアメリカに行き、原爆に関する英米共同作業の準備をしたのである。アメリカはすでにマンハッタン計画を遂行すべく準備に入っていた。アンダーソンはデュポン[Du Pont]社に向かった。この計画の最も重要な仕事をデュポン社が引き受けたことを知ったからである

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チャーチルとルーズヴェルトが原子爆弾について語り協定を結ぶ前から、原子力兵器カルテルはすでに形成されていた。それは世界的企業の既存の支配体制の上にうち立てられていた。チャーチルとルーズヴェルトが何を話し合おうと、原子力兵器カルテルにとっては、どうでもいいことであった。英米首脳会談はあくまでも形式的なものであった。それは、原子力カルテルの決定を追認するだけの儀式にすぎなかったのである。

デュポンとインペリアル・ケミカルズのカルテル関係は、少なくとも一九二〇年にまでさかのぼる。一九二五年にイギリスの化学トラスト(インペリアル・ケミカルズ)が形成され、イギリス国内の市場での支配権を握った。 デュポンとインペリアル・ケミカルズはドイツのIGファルベンと組んで巨大な化学トラストをつくった この巨大トラストが原爆カルテルヘと発展するのである。あのヒトラーを育ててナチス党をつくらせ総統への道を歩ませたのも、この巨大化学トラストの力によったといっても過言ではない。 その点から考えても、ドイツの原爆製造はありえない。ウラン鉱山を支配したIGファルベンが、ヒトラーの帝国にウランを提供していないからである

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IGファルベンがヒトラーを育てたマックス・ウォーバーグ[Max Warburg]によって結成されたのが一九二五年であった。 IGファルベンのアメリカの支社は、マックスの弟で連邦準備制度の立案設計者のポール・ウォーバーグ[Paul Warburg]、スタンダード石油のウォルター・ティーグル[Walter C. Teagle]、ナショナル・シティバンクのチャールズ・ミッチェル[Charles E. Mitchell]によって支配されていた。これは何を意味するのか。IGファルベンの意向に逆らってヒトラーが行動しえないことを意味するのである。

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ドイツに一度は燃えあがった原爆製造の熱を消したのはヒトラーその人であったこの巨大カルテルが原爆製造のゴー・サインを出したがゆえにまず、インペリアル・ケミカルズがその中心となって原爆開発に着手し、それからデュポンヘと主体が移っていくのである。 IGファルベンはヒトラーにベルギーの王室金融資本家たちに手をだすな」と忠告したのである。それゆえ、ベルギー領コンゴはイギリスとアメリカの手の内に入っていったのである

イギリスの原爆技術をアメリカに売り込んだ人物はヘンリー・タイザート[Henry Tizard]である。彼は同時にレーザー光線の技術もアメリカに売った。売り手はイギリス、買い手はあのデュポンである。

さて、もう一度、デュポンを訪れたサー・ジョージ・アンダーソンに話を戻そう。アンダーソンはデュポンにイギリスの原爆開発の一時中断を伝えた。そして、デュポンとインペリアル・ケミカルズが共同でモルガン財閥とともにカナダのインターナショナル・ケミカルを支配するよう手配をした。アメリカが原爆を製造するためには大量のウラン鉱石が必要であったからだ。
かくて、インペリアル・ケミカルズとモルガン財閥とが手を結び、ここに、英米原子力計画の頂点が誕生するのである。

この巨大カルテルがカナダ産ウラニウムを共同支配することにより、原慢製造計画は具体的なものとなっていくのである。チャーチルもルーズヴェルトもこの計画に文句一つ言えるほどの実力を持ってさえいない。チャーチルやルーズヴェルトの面から原爆製造を見ても表層的なものしか見えてこない。 「マンハッタン計画」とは、巨大カルテルが力を合わせて、巨大な規模の工場をアメリかにつくらせ、ウラン鉱石を大量に買わせて成した、金儲け(引用注:「と世界支配」)のための巨大プロジェクト以外の何ものでもない。

私がこれから書いていくストーリーは、そのことを証明することになるであろう。

もう一つのカルテルについても書いておくべきであろう。それは電機カルテルである。アメリカのGE(General Electricゼネラル・エレクトリック)を中心とするカルテルである。

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一八九〇年代には完成した。GEはウェスティング・ハウスとともにカルテルを結び、このカルテルを拡大し、一九三〇年代から一九四七年にかけて、イギリス、ドイツその他の諸国ともカルテルを結んだ。GEはドイツの大電球生産者オスラムの株式の二九%を、日本の東京電気(東芝の前身)の株式の四〇%を、イギリスのゼネラル・エレクトリックの株式の三四%を所有していた。

この電機トラストは、イギリスの原子力産業に深く関与していく。原爆開発が本格化するにつれて、ヴィッカースとアメリカのGEが結びつく。 GEはモルガン系である。JPモルガン商会のロンドン代表、ランダル・H・V・スミスはヴィッカースの重役でもある。 ここでも同様のことがいえる。ヴィッカースから多くの人材がJPモルガン商会に入っている。ヴィッカースはアメリカの潜水艦製造会社(モルガン系)にも投資している。ヴィッカースはアメリカ製の潜水艦をイギリス海軍に納入し、大きな利益を上げていた。こうした巨大カルテルの面から原爆製造を見ないと何も見えてこない

イギリスのインペリアル・ケミカルズとヴィッカース、モルガンおよびデュポン、そしてGEが共同計画を立てて実行に移したプロジェクトが「マンハッタン計画」であった。 この視点が欠けているために、原爆の正体がぼやけたままで半世紀以上もの歳月がすぎてしまったのだ。

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後略


鬼塚英昭 原爆の秘密[国外篇] 第二章 誰が何のために原爆をつくったのか p051-057 より

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by oninomae | 2008-12-20 19:19 | ホロコースト  

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