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伏魔殿のような国際決済銀行 by チャールズ・ハイアム 1

チャールズ・ハイアム 国際金融同盟 ナチスとアメリカ企業の陰謀よりご紹介
(限界はあるものの、おおいに「中央銀行家たち」の「陰謀」理解の参考になりますので)

第一章 伏魔殿のような国際決済銀行 

一九四四年五月のある晴れた日の朝、若いアメリカの将兵たちがイタリア海岸で上陸拠点を確保するために死力を尽くして戦っている同じ時刻、スイスのバーゼルにあるナチスが支配する国際決済銀行の総裁室に、アメリカ人であるトーマス・ハリントン・マッキトリック[Thomas H. McKittrick, 1889-1970]が到着した。

ヨーロッパが戦争に突入してから四回目の年次総会を主宰するためである。この洗練されたアメリカ人の総裁は、ドイツ人、日本人、イタリア人、イギリス人そしてアメリカ人からなる役員たちと共に席に着き(訳注:日本人役員は横浜正金銀行の北村孝治郎と日本銀行の山本米治の二人である)、三億七千八百万ドル分の金塊を始めとした重要案件について話し合った。

真珠湾攻撃後、ナチス首脳が国際決済銀行に運び入れたこの金塊は、オーストリア、オランダ、ベルギー、チェコスロバキアの国立銀行から略奪したものや、殺害したユダヤ人の金歯、眼鏡フレーム、タバコケースとライター、それから結婚指輪などをドイツ帝国銀行がかき集めた後、溶解したものだった。戦争終了後に、ナチス首脳が自分たちで利用するために保管したのである。


国際決済銀行(以下、BISと称する)は、一九三〇年にニューヨーク連邦準備銀行を始めとする世界中の中央銀行が集まって設立された。この銀行の誕生には、ナチス・ドイツの経済相でドイツ帝国銀行(ライヒスバンク)総裁だったヤルマール・ホーラス・グリーリー・シャヒト[1877–1970]の考え方が強く影響していた。
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シャヒトは幼少の一時期、ニューヨーク市のブルックリンで育ち、アメリカの金融界にも有力な人脈を持っていた。また、シャヒトの後任のヴァルター・フンク[Walther Emanuel Funk, 1890-1960]博士
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の下で活躍した、あのきわめて重要な銀行家、エミル・プール[Emil Puhl, 1889-1962]もシャヒトを支持していた。
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アドルフ・ヒトラーは国会で政権を握る前から戦争と世界征服への強い欲望を抱いていた。このことを察知していたシャヒトは、国際紛争が起きた場合でも、世界の金融界の首脳たちが連絡し、談合することができる金融機関の設立に奔走していたのである。

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BISに資本参加した各国政府が同意した国際決済銀行憲章には、参加国の間で戦争が起ころうが起こるまいが、BISは没収、閉鎖または問責から免除されるものとすると謳っている。

モルガン財閥系のファースト・ナショナル銀行(この銀行の役員の中にはハロルド・S・バンダービルト
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ウェンデル・ウィルキー[1892-1944]がいた)、
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イングランド銀行ドイツ帝国銀行イタリア銀行フランス銀行を始めとして、各国の中央銀行がオーナー銀行になった。

モルガン財閥系の銀行家であるオーエン・D・ヤングのいわゆるヤング案[Young Plan]で設立したこのBISの表向きの目標は、
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ドイツが連合国側に第一次世界大戦の賠償金を支払うことだった。 だが、BISはすぐに正反対の機能を持つ銀行になった。BISはアメリカとイギリスの資金がヒトラーの金庫に流入する窓ロの役目をするようになり、この資金のおかげもあってヒトラーは軍事機構を強化することができたのである。 


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第二次世界大戦が勃発すると、BISはヒトラーの完全な支配下に置かれた。総裁であるトーマス・H・マッキトリック[Thomas Mackitrick]の下には、ナチスの巨大な化学工業トラストであるイー・ゲー・ファルベン[IG Farben]社長のヘルマン・シュミッツ[Hermann Schmitz, 1881-1960]、
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ケルンのJ・H・シュタイン銀行頭取でゲシュタポの高級将校兼財務官のクルト・フォン・シュレーダー男爵[Kurt von Schröder, 1889-1966]などが役員として名前を連ねていた。ドイツ帝国銀行総裁のヴァルター・フンク博士、そしてもちろん、エミル・プールも役員だった。フンクプールの二人については、ヒトラーが個人的に役員に任命したのである。


ナチスとスイスの協力関係
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb500.html

BISの初代総裁には、ロックフェラー財閥系のチェース・ナショナル銀行の元頭取で、連邦準備銀行総裁のゲーツ・W・マッギャラー[Gates W. McGarrah]が就任した。 老練かつ如才のない銀行家だったマッギャラーは一九三三年に総裁を辞任している。

二代目の総裁は、醜聞記事を売り物にしていたニューヨーク・ワールド紙の元記者で、派手好みのレオン・フレーザーだった。この四十三歳の男は元々、街頭演説家、地方周りの劇場の支配人や女装の喜劇俳優をしていた人物である。フレーザーは財政や経済の知識をほとんど持ち合わせていなかったが、財界のお偉方の面々と強力なコネがあり、また忠誠心や国境を認めない、強烈な拝金主義者でもあった。

ヒトラーが権力を握ってからの最初の二年問に、BISを通じてナチスに融資をすることで、フレーザーは影響力を強めていった。 一九三五年にマンハッタンにあるファースト・ナショナル銀行の本社社長に就任した後も、フレーザーはBISの事業活動に対して影響力を巧妙に行使し続けた。このことは一九四〇年代まで続いたのである。

別の役員には、イタリア銀行の有能な総裁ヴィンツェツォ・アツォリーニ[Vincenzo Azzolini, 1881-1967]、
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フランス銀行総裁の冷酷な野心家イブ・ブレアール・ド・ボァサンジェー、そしてベルギー銀行総裁アレクサンドル・ガロパンがいて、この強力な金融機関を支えていた。ガロパンはナチスの協力者であるという理由で、一九四四年に地下組織の手で暗殺される運命にあった。(引用注:詳細不明、1941から1944年までベルギー銀行governorを務めていたのはGeorges Theunisとある)



チャールズ・ハイアム国際金融同盟―ナチスとアメリカ大企業の陰謀(原著1983、訳書2002) 第一章 伏魔殿のような国際決済銀行 p19-22 より

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参考

Richard McGarrah Helms
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Helms


The Assassination of John F. Kennedy Photographic Archive
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/CIAhelms.htm


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フリッツ・ティッセン/ヒトラー/リチャード・ヘルムズ/ダン・クエール/ブッシュ/ハリマン by Clifford Shack
http://satehate.exblog.jp/9036123


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by oninomae | 2008-11-25 23:50 | イルミナティ  

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