ペンシルヴァニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の合併 by 広瀬隆

ペンシルヴァニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の合併

二つとも、アメリカの大鉄道としては最古の老舗に属する。

イギリスのジョージ・スティーヴンソンが世界最初の本格的な鉄道を敷設した一八二五年、アメリカのジョン・スティーヴンズも蒸気機関車を走らせたが、四六年にはフィラデルフィアの実業家グループが本格的なペンシルヴァニア鉄道会社を設立した。路線はオハイオ州~インディアナ州~イリノイ州に拡大され、J・P・モルガンやロックフェラーたちの富豪閨閥が経営権を握って支配した。

歴代社長のうち、一八九九年にペンシルヴァニア鉄道社長に就任したアレグザンダー・キャサット[1839–1906]が、本書で問題となる大統領を生み出す重要人物である。
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この名はこれからたびたび登場するので記憶されたい。彼の手で一九〇四~一〇年に大工事がおこなわれた。一八九六年にニューヨーク証券取引所が設立されて間もないその時代、ウォール街は離れ島だったが、自由の女神が立つニュージャージー州側から、ハドソン川の地下にトンネルを通じてニューヨーク市と接続し、イーストリヴァーのトンネルでマンハッタン島ロングアイランド鉄道に接続する工事によって、ウォール街を一挙に発展させ、ペンシルヴァニア鉄道に隆盛をもたらしたのである。

キャサットは、合計三二を数える銀行・保険・信託・輸送会社で社長か重役をつとめる実業界の大物でもあった。その孫娘ドリスは、ウィリアム・ウェアと結婚したが、彼の伯父の名をジョージ・ハーバート・ウォーカーといった。
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ウォーカーは当時ハリマンが経営する投資銀行W・A・ハリマン社の社長で、ミズーリ州セントルイスを拠点にする大物投資銀行家だった。今度は一九二一年、ウォーカーの娘ドロシープレスコット・ブッシュという男と結婚し、
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プレスコットが義父の後を継いでハリマン社を経営し、二四年に長男ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュをもうけた。この大変な血筋の家系から、一九四六年にジョージ・W・ブッシュが生まれるのである。創業一族は大抵、代を追って先祖の資産を食いつぶすものだ。
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アメリカで最初に電化鉄道を導入したのは一八九五年のボルティモア・オハイオ鉄道だが、一九一〇年にキャサットがハドソン川の下を通るトンネルを開通させた時に、ペンシルヴァニア鉄道も電気機関車を採用し、さらにニューヨーク~ワシントン間を電化した。この電力を生み出す産業は、フィラデルフィア電力を支配するトマス・ドランに握られていたが、彼も大物キャサット一族で、息子の嫁を投資銀行ブラウン・ブラザース家から迎えていた。つまり父ブッシュ政権の国務長官ジェームズ・べーカーの一族である。ブラウン・ブラザースが一九三一年にハリマンと合併してブラウン・ブラザース・ハリマンとなり、ブッシュ家とべーカー家が共にこの投資銀行の幹部となったのは、鉄道投資と電力投資の賜物だった。要約すると、テキサス州のべーカー家とブッシュ家は、東部ペンシルヴァニア鉄道で結ばれた一族である。
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アメリカの電力は当時から石炭に大きく依存していたので、石炭王国ペンシルヴァニアは石炭と鉄鋼の大工業地帯として栄え、電力・鉄道・石炭トラストは、第一次世界大戦を機にUSスチールの鉄鋼産業と、兵器製造・造船業界を巻き込んで広大な闇のコンツェルンを形成していった。一九二〇年代後半からペンシルヴァニア鉄道はバス会社の買収にも乗り出し、後年アメリカで最も有名なグレイハウンド・バスに育て上げ、バスとトラック輸送に進出していった。第二次世界大戦後のペンシルヴァニア鉄道は、一九五〇年代に入ってニューヨーク~シカゴ~セントルイスの三大商業地を結ぶ路線距離一万六〇〇〇キロ以上の全米最大の輸送業者となっていた。日本列島の宗谷岬から鹿児島まで直線で結んでも二〇〇〇キロ足らずだから、その八倍以上を支配したのである。

これに対してニューヨーク・セントラル鉄道は、わずかに遅れて一八五三年にスタートした。やがてこの鉄道利権を狙う一団が現われ、彼らはニューヨーク・セントラル鉄道株を下落させてはひそかに買い占め、一八六七年までにはついに八七パーセントを握ってしまった。その頭目をコーネリアス・ヴァンダービルト[1794– 1877]といい、社長だった彼が死去した一八七七年には遺産が一億ドルと推定され、ハンティントンもスタンフォードもハリマンも及ばない資産家だった。十九世紀最大の富豪と言われたヴァンダービルト家については『アメリカの経済支配者たち』(集英社新書)に述べたので、詳細は同書を参照されたい。
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父コーネリアスの死後、社長ポストと遺産の大半を継いだウィリアム・ヴァンダービルト[1821-1885]は、
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金融王J・P・モルガンを重役に迎えて全米の鉄道支配を目論み、三代目のコーネリアスニ世[1843–1899]が一八九九年まで社長として支配した。
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後継者チョーンシー・デピューはたびたび共和党の大統領候補になり、ブラウン・ブラザースの近親者だったので、先ほどのキャサット一族でもあった。しかし第二次世界大戦後は、経営者が転々と変り、ついにはペンシルヴァニア鉄道と合併する時代を迎えた。何があったのか?

アメリカは鉄道で旅をする時代ではなくなっていたのである。自動車と航空機が急速に発達し、自動車を持たない家庭は、数えるほど少なくなっていた。本格的な石油大量浪費時代への突入であった。広大なアメリカでは、大西洋岸から太平洋岸までの長距離旅行に鉄道を使ったのでは、一刻を競うビジネスマンの仕事が成り立たない。テキサス州一つに日本が二つ入るほど広大な国なので、一度航空機が普及すると、中流家庭以上のアメリカ人はほとんど鉄道の旅を楽しまなくなった。ペンシルヴァニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道だけではなく、全米の鉄道が一挙に経営崩壊するという深刻な事態を迎えたのである。

一九五〇~六〇年代にかけて、すべての鉄道会社が合理化を迫られ、ワシントンの法律事務所ホイーラー&ホイーラーが大規模な鉄道合併再編ビジネスのほとんどを取り仕切った。この事務所を経営していたのは、ワイオミング州の北に隣接するモンタナ州選出の上院議員バートン・ホイーラーと、その息子エドワードだ。

エドワード・ホイーラーにはフレデリカという娘がいた。またこのホイーラー事務所に六七年からジョン・ウィリアム・スノーという弁護士がつとめ、彼の妻は資料により異なるが、ホイーラー家のフレドリカまたはフレデリカなので、スノーはこの事務所の経営者の娘婿になったためホイーラー事務所に入ったと推測される。

七二年にスノーは事務所を離れ、ニクソン政権運輸省法律補佐官になり、前述のように大統領首席補佐官チェニーのもとでフォード政権運輸次官補、さらに二〇〇三年イラク侵攻時のブッシュ政権財務長官へと出世してゆくのだ。これは政界工作として、関係者の誰にとっても好都合なストーリーだった。鉄道の合併・再編の認可は、輸送機関を監督する州間通商委員会が取り仕切ってきたが、六六年に運輸省が設立されて、委員会と運輸省は互いに姉妹機関となっていたからである。
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こうして二大資本のペンシルヴァニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の合併が認可され、六八年にペン・セントラル輸送社[Penn Central]が誕生するという全米産業史上の重大事件が起こったのである。


広瀬隆 アメリカの保守本流 (2003.9.22) 第二章 アメリカの鉄道資本とは何か p98-103より



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ウィンストン・チャーチル[Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, November 1874 – 24 January 1965]

Winston's father, Lord Randolph Churchill, the third son of John Spencer-Churchill, 7th Duke of Marlborough, was a politician, while his mother, Lady Randolph Churchill (née Jennie Jerome) was the daughter of American millionaire, Leonard Jerome. Born on 30 November 1874 in a bedroom in Blenheim Palace, Woodstock, Oxfordshire;[4] he arrived eight months after his parents' hasty marriage.

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John Albert William Spencer-Churchill, 10th Duke of Marlborough (18 September 1897 – 11 March 1972) was the elder son of Charles Spencer-Churchill, 9th Duke of Marlborough[1871–1934] and his first wife, the former Consuelo Vanderbilt[1877–1964, Born in New York City, she was the only daughter of William Kissam Vanderbilt; The second son of William Henry Vanderbilt], the American railroad heiress.

They had two sons and three daughters:

Lady Sarah Consuelo Spencer-Churchill (1921-2000; married and divorced Edwin Russell, Guys Burgos, and Theo Roubanis)
Lady Caroline Spencer-Churchill (1923-1992; married Maj. Charles Huguenot Waterhouse)
John George Vanderbilt Henry Spencer-Churchill, 11th Duke of Marlborough (b. 1926)
Lady Rosemary Mildred Spencer-Churchill (b. 1929; lady in waiting to Queen Elizabeth II; married Charles Robert Muir)
Lord Charles George William Colin Spencer-Churchill (b. 1940; married Gillian Spreckles Fuller and Elizabeth Jane Wyndham, a great-niece of the interior decorator Nancy Lancaster)


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by oninomae | 2008-11-17 20:05 | イルミナティ  

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